若山陽一対談

旅する写真家・石川直樹氏に聞く
山、写真、そして冒険への思い

旅する写真家・石川直樹氏に聞く 山、写真、そして冒険への思い

2016.05.30

  • 対談

初めての高所登山、デナリ

石川 インドやネパールを旅して、こんな世界があるんだと思ってしまって。もっと知らない世界に行きたいと思って……。ガイドブックに出ていない所に行こうと思ったら、必然的に山とか川とか海とか、自然のフィールドになっていくんです。それで冒険や探検の本を読み始めて、植村直己さんの本などを読んだらアラスカのデナリという山が格好いいなと思って、20歳のときに行ってしまったんですね。

若山 それでデナリに……。ヒマラヤではなくて。

石川 標高8000mの世界なんて、まだ分からないので。日本で一番高いのは約3800mの富士山ですから。そこからもうちょっとステップアップして6000m峰に初めて行ったのがデナリです。

若山 でも20歳ぐらいだと、あの雰囲気は耐えられないくらい嫌な感じがすると思いますよ(笑)。殺伐とした感じですね。

石川 そうですか(笑)。若山さんもご存知のとおり、日本の山と6000mの山というのは全く違うわけです。たしかに殺伐として不自由で不便でひどい場所ではありますけど、「自分はすごい所にいるなー」みたいな感じで楽しかったんですよね。

男女8人で北極から南極まで人力踏破

若山 デナリに登った次は、どこへ行ったんですか?

石川 北極から南極へ旅するプロジェクトに参加しました。北極・北米・中米・南米を通って南極点まで、人力で地球を半周しました。

若山 「Pole to Pole(ポール・トゥ・ポール)」ですね。いろんな国から選ばれた若者たちと一緒に旅をしたんですよね。

石川 そうです。それまでは個人の旅が多かったんですけど、そこでは8人で。女性が3人、男性が5人で、全部国籍が違う。みんな19歳から20代半ばまでです。僕は22歳でした。

若山 旅の途中でいろいろあったんでしょうね。

石川 喧嘩もするし色恋沙汰もある。男女8人で旅をしていて、プライベートな空間は一切ないですからね、ずっと野宿ですから。英語とかスペイン語とかが飛び交いながら、1年間ずっと共同生活をしていました。

若山 それは、かなり刺激になったのではないですか?

石川 集団行動というのがどういうことかというのを、叩き込まれたというか。僕は米を食べたいと言うけど、スパゲティを食べたいとずっと言っているやつがいるわけですよ(笑)。そういうときに、どうやってみんなで仲良くやっていくかというようなことを学びました。

世界七大陸すべての最高峰に登頂

若山 Pole to Poleの旅が終わってからは、また山に向かいましたね。

石川 南極から日本に帰らずに、僕だけ残って南極の山に登りました。

若山 ヴィンソン・マシフ(南極大陸最高峰)ですね。

石川 ヴィンソン・マシフに登って、帰り道にアコンカグア(南米大陸最高峰)に登ったりして、日本に帰った後すぐにチベットに行ってチョモランマ(世界最高峰。英語では「エベレスト」)に登りました。

若山 一気に行ったという感じですね。セブンサミッツは何年で達成したんですか?

石川 20歳でデナリに登って、23歳でチョモランマですから、3年間ですね。

若山 すごいですね。世界最年少セブンサミッター。世界中で相当なニュースになったと思いますが、それで浮かれなかったですか?

石川 浮かれないですよ(笑)。というか、セブンサミッツは面白い課題ではありますけど、登山の世界では、例えばK2のほうがエベレストより難しかったりとか、もっともっと困難な課題がいくらでもありますから。

若山 なるほど。そうだったんですか。

太平洋の島で伝統航海術を学ぶ

若山 石川さんは、山だけじゃなく海も……。ミクロネシアに古くから伝わるカヌー航海術の師匠に弟子入りしていましたね。

石川 そう。星の航海術の勉強はセブンサミッツの前からやっていて。チョモランマに登った後も他のポリネシアの島とかに通って、そういうことをしていました。

若山 星の航海術って、どんな術なんだろうなと思って。

石川 海図もコンパスも使わないで、星を見ながら航海します。

若山 道具を使わないで星だけ見て、航路とかを見極めていくわけですか。

石川 星とか、太陽とか、風とか、波のうねりとか、鳥の後ろ姿とかあらゆる自然現象を頼りに、行くべき方向を導き出すという。

若山 相当なスキルですね。履歴書にスキルを書いたら、すごいことになりそうです。

石川 いや、誰も理解できないと思いますけど……相当なスキルです。というか、僕たちと空間認識の方法が違うんです。僕たちは例えば信号の下に「五反田」と書いてあるから、ここは五反田だと認識する。でも彼らは違います。ある海域に行くと、頭の中に動物が浮かんだりする。そういうやり方で空間を把握していて、僕たちの世界観とは、まったく別物で、ちょっとできないです。世界のとらえ方が全然違うから。

若山 世界のとらえ方。なるほど。ミクロネシアの人たち、イヌイットもそうですけど。

石川 シェルパもそうですよね。エベレスト街道なんて、僕たちは10日かけてゆっくり歩いていきますけど、ネパールの人たちは自動のエスカレーターに乗っているみたいに歩いていきますからね。距離感とかも違いますし。

若山 確かにそうですね。

熱気球で太平洋横断に挑戦

若山 僕が石川さんの本で最初に手にしたのは『最後の冒険家』でした。冒険家の神田道夫さんが熱気球で太平洋横断に挑戦したとき、石川さんが同乗していますね。途中で海に着水して大変なことになった状況を読んで、びっくりしました。

石川 簡単に言うと、熱気球で日本からアメリカに行こうとして、ハワイの手前で落ちた。そこへ通りかかったロサンゼルス行きのタンカーに拾われて、アメリカに不法に入国しました……。

若山 ビルの上にあるような貯水タンクをゴンドラに改造して、そこに気球を付けて飛んでいったわけですよね。そしたら荒れている海に落ちて、ゴンドラがゴロゴロゴロゴロ回転して……。とても恐ろしい状況だったんでしょうね。これは死ぬな、と思いましたか?

石川 あのときは、そうですね。海上では本当に大変でした。貯水タンクに海水が入ってきて「もう駄目かな」と思ったけれど、タンカーに助けられて。着の身着のままで助けられてパスポートもお金も持ってないですから、不法に入国したボートピープルと同じでした。

若山 持っていったカメラもゴンドラの中に残して……。

石川 そうです。そのゴンドラが、4年後に鹿児島のトカラ列島に漂着したんです。

若山 あり得ないことですけど、ゴンドラごと漂着したんですよね。そしてその中からカメラが出てきたんですよね。それもすごい。

石川 すごいことです。

若山 神田さんと石川さんの太平洋横断は成功しなかったけれど、神田さんはその4年後に単独で再挑戦しましたね。

石川 僕はやめたんですけど。

若山 そう。石川さんは「もう1回行こう」と神田さんに言われたけど、リスクを感じたわけですよね?

石川 ちょっと難しいだろうという。

若山 神田さんは残念ながら、太平洋上で消息を絶ったんですね。どこまで行かれたか、正確には分からないんですよね?

石川 かなり進んでいきましたよ、ハワイももちろん越えていったんですけどね。

若山 この本は、ぜひみんなに読んでいただきたいですね。本当にすごいですよ。石川さんと神田さんとのストーリーが。神田さんは本当に冒険家ですよね。

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