若山陽一対談

プロ登山家・竹内洋岳氏と
ヒマラヤの山々に登って学んだこと

プロ登山家・竹内洋岳氏とヒマラヤの山々に登って学んだこと

2016.01.18

  • 対談

リスペクトがないと強いチームになれない

マナスル遠征チームのシェルパのみなさん

若山 ヒマラヤ登山では、シェルパも生活をともにしますね。いわば、登頂の成功という目標を共有する組織ができます。その一人ひとりが役割を果たしていないと登山が成立しなくなります。例えばコックの役割がいないと料理が食べられません。酸素ボンベを替える人がその役割を忘れたら命取りになるような事故が起きるかもしれません。それぞれが役割を果たし、経験を積んで人が成長して、信頼関係が醸成されることで、登山自体のクオリティーも上がります。そういう意味では、経営と重なることが多いですよね。だから、シェルパの名前は全部覚えました。

ベースキャンプのキッチン(マナスルにて)

竹内 それはさすがだと思いました。私よりもずっと早く名前と顔を覚えて。

若山 やっぱり名前を知らないと。同じチームでずっと寝食をともにしてますから。なるべく話す機会を増やしたいと思って、よく声をかけていました。

竹内 ネパールの人たちはホスピタリティーが非常に高くて、一生懸命やるんです。そのうえ信頼関係ができてくると、さらに一生懸命やる。若山さんが名前を覚えてくれるとか、挨拶をしてくれるっていうのは、彼らにとってはすごく励みになるわけですよね。お互いの信頼関係ができるかどうかというのは、すごく重要だと思うんですね。

若山 本当にそう思います。最近思うんですが、ビジネスでも登山でも、お互いにリスペクトがないとできないじゃないですか。シェルパの人たちとも対等にリスペクトし合う関係じゃないと難しいですよね。やっぱり何かの時にそれが出てくる。

竹内 私もシェルパに助けられることもあるでしょうし、シェルパが危機に陥ったら私も助けに行かないといけないわけです。同じリスクの中に踏み込んでお互いに命を預け合わないといけませんから、お互いに理解して、尊敬し合わないとできることではないと思いますね。

若山 そうですね。そう思いますね。本当にね。

アコンカグアで7000m無酸素に挑戦

アコンカグア山頂(2015年1月)

若山 2014年の年末から年明けにかけて、アコンカグア(南米最高峰 6960.8m)に行きました。直接現地のツアー会社にプライベートツアーを申し込みました。

マナスルでは6800m から酸素ボンベを活用しましたが、7000m近いアコンカグアでボンベなしの登頂に挑戦して、自分の体にどんな負荷がかかるのか確認することも目的の一つでした。でも6500mの地点で体がピタッと動かなくなったんです。一歩も動けないんです。30分くらい休んだら登れたんですが、やっぱり原因は酸素不足なのかなと思いましたね。

でも約7000mの頂上まで無酸素で歩いたことは自信になりましたね。エベレストでいえば、7000mはノースコルっていう所なんですけれど、そこまではボンベなしでも行けると。で、7000mから上はボンベをつければ行けるなと。あとは慎重に歩いて、体力と天気に恵まれれば、マナスルよりもキャンプが1個多いだけで、エベレストの頂上に立てる。そのイメージを自分の中で何度も何度も繰り返しましたね。アコンカグアに登ったことで、そういう具体的なシミュレーションをすることができるようになりました。

若山さんにはエベレストに登ってほしかった

若山 2015年の春は、いよいよエベレストということになりました。冒頭で言いましたように、ABCにいるときに地震が起きて、登山は終わることになるんですが。引き返してくるという結果になってしまったのは残念ですけれども、これまでに登山を通じていろんな経験ができました。何よりも竹内さんが、よく付き合ってくれたなあと(笑)。

竹内 私も若山さんに登ってもらいたかったんですね。その昔、エベレストは限られた登山家だけが登っていました。今でも誰もが登れるわけではありませんが、誰もが挑戦はできる時代です。登山というものが時代とともに変化していくからこそ、人々に受け継がれて、私が先輩から受け継いだように、私からも先に続いていくものだと思うんです。

若山さんのような方にエベレストの頂上に立ってもらうことは、ヒマラヤ登山とか日本の登山というものが変わるチャンスじゃないかなって思ったんです。だからこそ私は、自分の登山とはかけ離れても、登山のために、もちろん若山さんのためにも、エベレストには登ってもらいたい。本当にそう思いましてね。

欧米の登山者には、起業家も多いんですよね。自分で会社を興して成長させてきたというチャレンジを、もう一度登山で再現する。だから若山さんが「やりたい」っておっしゃったとき、「ああ、やはりそういう人が出てきたんだな、日本の企業家とか、日本の登山っていうのが欧米に近付いてきたんだな」と感じました。若山さんのような企業家、経営者が、これからは出てくると思います。

再び別の道へ。そしていつかは同じ山へ。

若山 自分の気持ちに素直に向き合うと、エベレストの頂上には立ってみたいと思うんですね。ただし、来春はすでに仕事のスケジュールが詰まっているので、行けるかどうかは微妙なんです。再来年ということも考えたいとは思いますが、あまり間隔をあけてしまうのは良くないようですね。まあ、1回はチャレンジしましたし、それで会社にも負担をかけましたので、これからは会社のことも考えて判断したいと思っています。

竹内 私も来年(2016年)の春はマナスル日本隊初登頂60周年ということで、以前からの約束があります。来年の春だと、私はエベレストには一緒には行けないんですね。アイランドピークからここまで一緒にやってきましたので、やっぱり若山さんが頂上に立つ様子を見届けたかったっていう思いがすごく強いんです。それを考えると残念ではあるんですけど、来年の春となると、どうしてもご一緒できないですね。

ただ、来年の春なり、再来年の春なりに若山さんがエベレストを目指すのであれば、どんな方法でどなたと行っても、ぜひ登っていただきたい。それが、これまで一緒にやってきた私との登山を引き継いだ登頂であれば、それほどうれしいことはありません。

若山 それは本当に感謝しています。竹内さんの象徴的な数字に「14」っていうのがありますけど、僕が会社を設立したのが4月14日なんですね。実は僕は「14」っていうのはすごく重要な数字でして、僕の中のラッキーナンバーでもあって。同じ世代としては、まったく違う生き方をしていますけれども。

竹内 そうですね、本当ですね。

若山 僕は合理的な世界の中で生きているけど、竹内さんはアーティストの世界だから。

竹内 同じ学年でありながら、同じ時間を過ごしてきながら、まったく違う世界にいて、こうして出会うというのも面白いものですね。

若山 竹内さんのような方にご一緒いただいて、本当に感謝しています。またどこかのタイミングで、何らかの山でご一緒できる日が来たら、またうれしいんですけどね。

竹内 私も本当に楽しかったです。ありがとうございました。

若山 こちらこそ、本当にありがとうございました。

PREV 1 2 3

PAGE TOPへ

SNS