若山陽一対談

プロ登山家・竹内洋岳氏と
ヒマラヤの山々に登って学んだこと

プロ登山家・竹内洋岳氏とヒマラヤの山々に登って学んだこと

2016.01.18

  • 対談

若山陽一と竹内洋岳氏。ともに1971年生まれながら、若山は企業家として、竹内氏は登山家としてまったく別の道を歩んできた。しかし2012年に二人は出会い、一緒にエベレストに登る約束をする。
そして2015年4月25日、エベレスト北稜ルート。若山と竹内たちは、ただならぬ異変を感じた。死者8,959人
を出したネパール大地震である。
あれから7か月。再開した二人の対談は、この地震の話題から始まった。
(対談日:2015年11月)

※ユニセフWEBサイトより(2015年8月20日時点)

エベレストでネパール大地震に遭遇

若山 地震が起きたとき、僕たちはエベレスト北稜ルートのABC(アドバンスドベースキャンプ 標高6300m)にいました。グラグラっと揺れたのでテントから出たら、竹内さんも出てこられて。時計を見たら正午だったことを覚えています。近くで2度ほど、ドーン! と雪崩(なだ)れるような音がしましたね。

竹内 足元の氷河もバキバキいってる音が聞こえました。氷が開いたのか、石がゴロゴロ落ちていく音も聞こえました。ただ、あの時点時点ではさほど大きな地震とは思ってなかったですね。

若山 僕もそうです。あとで知ったことですが、ネパール側の南東稜ルートでは地震による雪崩で18人が亡くなっている。

チョモランマ(エベレスト)ベースキャンプにて(2015年4月)

竹内 私たちはチベット(中国)側にいたから助かった。ルートを決めるとき、若山さんが最終的に「チベット側から登る」と言ってくださったので、結果的には助かったんですね。

若山 当初、チベット側には地震の情報がなかった。だからまだ登るつもりで、翌日はプジャ(登山の安全祈願)をやりましたね。登りたかった。でも、やがてチョー・オユーとシシャパンマが今季の登山を中止したという情報が入ったので、たぶんチョモランマも登山中止の命令があるだろうと。そう思ったら、今度はもう一刻も早く帰りたくなった(笑)。

竹内 あそこで粘ってしまうと、ベースキャンプから撤収する車の順番が後回しになって、もっと閉じ込められていた可能性があります。我々が下山した後、ベースキャンプからラサ(チベットの都市)への道は、外国人の通行が禁止になりました。我々はそうなる前に通れた。ラサの空港に着いて、これで飛行機に乗れると思ったときには、本当にほっとしましたね。

若山 結果としては、早く下りてよかったですね。

未経験者がエベレストを目指した理由とは

若山 ところで今日の対談は、これまで竹内さんと一緒に登ったヒマラヤの山の総括をしようというのが目的でした。今年(2015年)春のエベレストの話から入ってしまいましたが、最初は2014年春のアイランドピーク、そしてマナスルにも2014年の秋に一緒に登っていただきました。

竹内 そうでしたね。

若山 振り返ってみると、僕の初めての登山は2011年8月の富士山です。日本一の会社を目指すんだから日本一の山に登ろう、ということでUTグループの幹部50人と登りました。ところが、僕を含めて全員がめちゃくちゃしんどくて、帰りのバスの中は、みんな無言(笑)。その日は散々でしたが、それから1年ぐらいは何かにつけて富士登山の話ばかり(笑)。

富士登山(2011年8月)

竹内 「えらい目に遭ったなと」ですか?(笑)

若山 竹内さんのことを知ったのも、この頃です。竹内さんのインタビュー記事で「高所の登山では辛いことがある。だけど、そのことは登らない理由にならない」というようなことが書かれていて、共感しました。そして2012年に「UTチャレンジプロジェクト」という企画をスタートするとき、竹内さんに特別審査員をお願いしました。それで初めてお会いしたときに「僕もエベレストに登れますかね」とお聞きしたんです。そしたら……

竹内 「登れますよ」って。「行く気があれば登れますよ」って(笑)。

若山 竹内さんにそう言われて、登りたいという気持ちが芽生えました。社員にも僕が挑戦する姿を見てもらって、何かを感じてほしいと思いました。そして登るためにどうすればいいのかを考え、エベレストに向けてのトレーニングを始めました。初めての海外トレーニングは2013年の8月のモンブラン(西ヨーロッパ最高峰4810.9m)でした。モンブランはすごくしんどくて、これじゃ、今後どうするんだという感じでした。今思うと、何であんなにしんどかったのかなというくらい。

竹内 そうでしたね。まあ、初めてだったからというのもありますよね。

若山 フラフラの状態で登って日本に帰ってきて、その3か月後の11月にはキナバル山(マレーシア最高峰 4095m)、12月にキリマンジャロ(アフリカ大陸最高峰 5895m)と、立て続けに行きました。そして翌年も畳みかけるように……。会社のほうは、僕が休んでも運営に影響がない仕組みが作れているから心配してなかったのですが、それでもよく行ったなと思います(笑)。

竹内さんからアックスをプレゼントされ、エベレストへの想いがつのる
(2012年2月)

モンブラン山頂をバックに(2013年8月)

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Profile

竹内 洋岳(たけうち ひろたか)
プロ登山家/立正大学客員教授/株式会社ICI石井スポーツ所属
1971年生まれ 東京都出身。
身長180cm 体重65kg 血液型 O型。立正大学 仏教学部卒。

登山好きな祖父の影響を受け、幼少より登山とスキーに親しむ。
高校、大学で山岳部に所属し登山の経験を積み、20歳で初めてヒマラヤの8000m峰での登山を経験。1995年にマカルー(8463m)東稜下部初登攀より頂上に立ち、1996年には、エベレスト(8848m)とK2(8611m)の連続登頂に成功し活動をヒマラヤに集中させていく。
2001年からは、ドイツ人クライマー、ラルフ・ドゥイモビッツや、オーストリア人女性クライマー、ガリンダ・カールセンブラウナーをメインパートナーとし、各国のクライマーと少人数の国際隊を組み、酸素やシェルパを使用せず、アルパインスタイルを積極的に取り入れた速攻登山で複数の8000m峰を継続する登山スタイルを取り入れる。
2007年にパキスタンのガッシャブルムII峰(8053m)で雪崩に巻き込まれ、腰椎破裂骨折の重傷を負い、生命の危機に陥ったが、各国登山隊のレスキューで奇跡的に生還をした。もはや登山への復帰は絶望的とも言われたが、手術、リハビリにより、わずか1年後には、事故のあったガッシャブルムII峰へ再び挑み登頂に成功した姿は多くの賞賛を受けた。
2012年5月には世界に14座ある8000m峰全14座の内14座目となるダウラギリへの登頂を果たし、日本人初となる8000m峰14座完全登頂という偉業を達成した。
2002年に結婚。二児の父親の顔も持つ。

竹内洋岳 公式ブログ
http://weblog.hochi.co.jp/takeuchi/

Profile

若山 陽一(わかやま よういち)
UTグループ株式会社 代表取締役社長 兼 CEO

17歳の時、バイク事故で肝臓破裂、4日間の意識不明を超えて一命を取りとめる。
生死の境をさまよったことによって、命は有限であることを実感し、起業を決意。
「仕事を創ることが仕事」をポリシーに1995年に創業。
2003年製造派遣業界で初めての上場を果たす。
その後、積極的なM&Aで会社を急成長させるが、2008年旧GWG株式取得を機に、GWGのコンプライアンス違反が見つかり倒産の危機に。
同時に、個人でも37億円の負債を抱え、自己破産の危機に陥るも、不屈の精神によって全額返済する。
2013年、企業姿勢である「挑戦」を身をもって示すために始めた登山では、モンブランに登頂したことを端緒として、南米大陸最高峰アコンカグアやヒマラヤ山脈8000m峰マナスルなど、2年間で世界の名峰8山に登頂成功する。
2015年4月にはエベレスト登頂を目指すも、ネパール大地震の影響でやむなく下山。
海外登山がきっかけとなり、世界中に仕事を創ることを決意。
途上国支援の一環として、ネパールで高品質なイチゴの生産による雇用創出を始める。
座右の銘「想いが行動を変え、行動が現実を変える。」

若山陽一 公式ブログ
http://ameblo.jp/yoichi-wakayama/

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