社員インタビュー

高校を中退して時給900円の派遣社員から
執行役員になった僕の体験談

高校を中退して時給900円の派遣社員から執行役員になった僕の体験談

2015.09.30

  • 社員インタビュー

われわれはプロだ

24歳のとき、こんどはシフトリーダーになりました。

FCには4つの「係」があって、交代で勤務しています。僕はそのうちの1つを担当することになりました。部下は35人くらいに増えました。

部下が増えて、自分のことよりも「チームがどう評価されるか」とか「チームのメンバーがいかにハッピーになれるか」ということを考えるようになりました。

「プロ意識」も強くなりました。シフトリーダーになる少し前に、正社員になったということも無関係ではありません。「この仕事を続けていこう」と、自分の中で決めたんです。もうひとつ。当時の上司が、よく「われわれはプロだ」と言っていました。「プロというのは、どんな状況であれ結果を出さなきゃいけない」と。そういう上司の影響もあったと思います。

プレーヤーから組織人に

シフトリーダーになってからは、4つの係の中での生産数量ナンバーワンを目指しました。やがて係のメンバーのスキルアップもあり、半年間、1位を記録しました。

ところが7カ月目に、他の係に1位を奪われてしまったんです。あのときは悔しくてリベンジを狙ったんですが、そのときに工程管理者に任命されたんです。

工程管理者は1係から4係のすべての生産数量に責任を負います。さらに面接やお客様との交渉など、人材派遣会社としての仕事もするようになりました。会社の看板を背負っているという意識が高まって、対外的にどうか、という軸で物事を考えるようになりました。

プレーヤーから組織人に変わったんです。26歳のときでした。部下は120人くらいになっていました。

FCのトップという夢の実現

僕は新潟の新井FCの工程管理者になったんですが、しばらくすると他のFCの立ち上げにも関わるようになりました。そうなると「新井FCの工程管理者」という枠を超えてましたね。

そんなとき、FCマネージャーにならないか、という声がかかったんです。石川県能美市にお客様の工場があり、ここのFCのマネージャーとして、僕に白羽の矢が立ったんです。

FCマネージャーは自分のFCの営業、売り上げ、収益、採用、現場管理すべてを統括する、FCのトップ。いわば小さな会社の社長みたいなものです。当時、FCマネージャーになるのは、同業他社で実績を上げてヘッドハンティングされたような人でした。社内の現場からFCマネージャーに抜擢されたという前例がなかったんです。

FCマネージャーになるのは、そのころの僕にとっての夢でした。それが実現することになりました。

見知らぬ土地に単身赴任

そのころは、新潟に家を建てたばかりで、子どもは2歳と0歳。家族と一緒に引っ越すことも少し考えましたが、子どもたちのためを考えると、仕事の都合であちこち転居するよりも、拠点があったほうがいい。だから、単身赴任することを決めました。

赴任した根上FCには、当時、当社から50人くらい派遣していました。それを請負に切り替えて、規模を倍にして受注を増やす計画で、僕はその事業立ち上げの責任者として赴任したんです。

過去の実績は通用しない

根上FCは会社としても力を入れていたプロジェクトなので、現場のリーダーは、社内でも実績のある人たちを集めていただきました。

ほとんどのリーダーは僕より年上でしたし、それぞれのリーダーがオーラを持っていました。だから全員でお客様のところに挨拶に行くと、誰が責任者か分からない。僕が「責任者です」って言うと、みなさん「えっ!?」みたいな(笑)。

新井FCにいたときは、僕の実績は社員もお客様も知っていて、「小野なら任せても大丈夫だ」と認めてもらうことができました。ところが根上FCでは、誰も僕の実績を知りません。社員もお客様も、弱冠30歳のFCマネージャーに不安を抱いたかもしれません。

でも、僕の過去の実績を押し付けても全然意味がない。だから自分のことを言うよりも、まずは相手のことを知ることから始めました。

まず相手のことを考える

新井FCと根上FCでは、なにもかも違いました。まずメーカーが違う。造るものが違う。専門用語や社内用語が違う。会議をしてもお客様が何を言っているのか分からない。企業カルチャーも生産方式も、コストに関する考え方も違う。だから必死で勉強しました。そしてお客様が何を期待しているかをしっかり理解して、その期待に応える行動をとるようにしました。

社員に対しては、仕事とプライベートの両面でコミュニケーションをしっかりとることを心がけました。特に年上の人には、業務上は僕が上司でも、プライベートは先方が人生の先輩になるわけですから、その点もわきまえて接する。こうして、だんだん打ち解けていきました。

自分のことよりも、まず相手のことを考える。これはシフトリーダーや工程管理者のときに学んだことです。

ゴールに到達したはずだったが

当時、全国に70~80人いるFCマネージャーの中で、僕は最年少でした。

FCマネージャーは、僕にとっての最終目標でした。ゴールに達したことで、満足するはずでした。ところが、いざなってみると、その中でナンバーワンになりたいという思いが強まってきました。

ただし、根上FCは規模的には小さかったんです。増員をはかって受注を増やしてはいましたが、在籍社員数や売り上げでは大規模FCに勝てません。だから収益率ナンバーワンを目指しました。様々な対策を打ち、収益率は2割近く上がりました。

そして2012年、「エントリー制度」が始まったんです。

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