社員インタビュー

高校を中退して時給900円の派遣社員から
執行役員になった僕の体験談

高校を中退して時給900円の派遣社員から執行役員になった僕の体験談

2015.09.30

  • 社員インタビュー

小野雅人
UTグループ株式会社 上席執行役員
UTグループ株式会社 製造派遣部門 副部門長
UTエイム株式会社 取締役

Profile

小野 雅人(おの まさと)
1979年11月、神奈川県生まれ。高校中退後、2002年から新潟県妙高市の半導体製造工場で派遣として働き始める。同工場で現場責任者を歴任し、2010年、石川県能美市にある工場のマネージャーに就任。2013年、石川県加賀市の工場でマネージャー。同年、北陸エリア担当部長に昇格。2014年、UTグループの執行役員に登用される。
趣味はスノーボードや釣りなどのアウトドアレジャー。

派遣社員だった僕の、リアルな話

僕は高校を中退しています。そしてバイト感覚で工場派遣の仕事を始めました。スタートは時給900円の派遣社員。そして今は執行役員をしています。
こう言うと、なんだか作り物のストーリーのように感じる方もいると思います。でも僕自身はこれがリアルだし、UTグループの中では僕が特別だったというわけでもありません。
これからお話しすることは、実際に僕が体験してきたことです。人それぞれですので、同じ経験をする人はいないと思いますが、多少は参考になるかもしれません。
(インタビュー日:2015年9月)

※文中の部署名・役職名等は、インタビュー当時のものです。

とんがっていた高校時代。そして中退

僕は生まれも育ちも横浜です。

高校生の頃は髪の毛を黄色く染めたりして、とんがっていたところもありました。当時は「勉強なんかして何の意味があるんだ」なんて思っていました。高3のときからあまり学校に行かなくなり、「だったら辞めちゃえ」と、中退しました。

将来のことなんか、何も考えてなかったんですね。「高校を辞めても何とかなるんじゃないか」みたいな、変な自信もありましたし。

ただ一方で、中退したことでコンプレックスというか、劣等感のようなものもありました。

居酒屋でバイトしながら独学の日々

自分は頭が悪くて中退したんじゃない。それを自分自身に証明したくなり、「大検」(現在は「高卒認定」)を受験することにしました。

受験勉強は独学です。夜は居酒屋でアルバイトをしながら、昼間は毎日、朝から夕方ぐらいまで図書館で勉強しました。この時はけっこう勉強しましたね。

そして中退した翌年に大検を受け、合格することができました。でも大学は受けていません。大検を受けたのは大学に行くためじゃなくて、自分が納得することが目的でしたので。

フリーペーパーで仕事を探す

居酒屋のバイトは、21歳の時に辞めました。それから1年間は、短期のバイトをたまにやって、辞めて、ということを繰り返していました。そのうちに、これじゃ駄目だ、という気持ちになってきました。このときに無料の求人誌で見つけたのが、工場派遣の仕事です。

派遣先は、新潟県の妙高市にある新井FC(ファクトリーセンター)というところでした。

19歳の頃からスノーボードを始め、妙高高原のスキー場はよく行っていたので、興味がわきました。

工場派遣の仕事に就く前月。当時22歳。

バイト感覚で派遣社員に

募集内容は、時給900円。2勤2休(2日勤務したら2日休み)なので「月の半分がお休みです」みたいなことが書いてありました。「ここなら、月の半分はスノボができる。めちゃめちゃいいじゃないか」と思って、友達を誘って即応募しました。まさにバイト感覚でしたね。

冬の間、スノーボードをガッツリやって、シーズンが終わる3月になったら、工場を辞めて横浜に帰ろうと思っていました。でも、仕事を続けることになりました。

すぐに辞めようと思っていたのに、なぜ気が変わったのか。それには3つの理由があります。

チャレンジマインドに火が付いた

1つめの理由は、仕事そのものが僕の中ですごくフィットしたんです。

半導体の製造は、工程がいくつにも分かれています。僕は「リソグラフィ」という工程にオペレーターとして配属されました。まったく未経験の仕事でしたが、すぐに夢中になりました。

当時は半導体の受注量が非常に多くて、生産数量の目標が高めに設定されていました。それを達成するために自分で工夫して、頑張った分だけ生産高が上がり、成果が目に見える。そこに面白さを感じました。負けず嫌いな性格なので、毎日、誰よりも多く仕上げることにチャレンジしていました。さらにそのことが評価され、ますます面白くなってしまいました。

新潟に来て半年後。新井FCの仲間とスノーボード。

妙高杉ノ原スキー場でスノボを満喫!(2004年)

見知らぬ土地で生まれた仲間意識

工場で働き続けた2つめの理由は、職場の仲間の存在です。

新井FCには、いろいろな地方から人が集まっていました。最初は見知らぬ者同士でしたが、一緒に遊ぶようになりました。

冬はスノーボード、春からは釣りや海水浴。夜は懇親会。そうして、どんどん仲間が増えたし、仲間意識も強くなりました。

こういう職場環境にすごく魅力を感じました。

彼女を置いては帰れない

そして3つめは、彼女ができたこと。実は、これが仕事を続けることになった一番の理由かもしれませんね。

彼女は、同じ工場で事務員として派遣されていたんです。工場で働き始めた翌年の2月からつきあいはじめました。3月に仕事を辞めるつもりでしたが、彼女を置いて僕だけ横浜に帰るわけにはいかない。だから新井FCで仕事を続けることにしました。

彼女とはその後結婚し、新潟に家を建てました。今では子供が二人います。

リーダーになってチームワークを知る

仕事を始めて、7カ月くらい経ったときです。上司から「工程リーダーをやってみないか」と言われました。僕は高校を中退しているけれど、その人は僕を認めてくれた。そのことが、すごく嬉しかったですね。

工程リーダーの役割は、自分が配属されていた「リソグラフィ」の工程のマネジメント。同じ工程を担当するチームは4班あり、交代で勤務していました。この4班の中で、僕たちは1番になろう、という目標を立てて協力しあいました。

僕たちの班は8人でした。オペレーターのときは個人目標へのチャレンジでしたが、チームで成果を上げたときのほうが、個人で成果を上げた時よりも達成感が大きい。それが嬉しくて、モチベーションになっていました。

[ NEXT → 見知らぬ土地に単身赴任。過去の実績は通用しない。]

NEXT 1 2 3

PAGE TOPへ

SNS