Everest Challenge

Yoichi Wakayama The Way Of The Summit

CONTENTS

Summary

Summary

竹内洋岳×若山陽一 2nd「新しい自分を創るための挑戦」

トレーニング&登山計画

2015年3月現在。習得度合い等に応じて計画を見直す場合があります。

2015年
4-6月  エベレスト(世界最高峰 8848m) Summary
・エベレストBC滞在・順応
・順応登山
・エベレスト登山
 
2014年
12-1月  アコンカグア(南米最高峰 6960.8m) Summary Gallery
9-10月  マナスル(8163m) Summary Gallery
7-8月  エルブルース山(ヨーロッパ大陸最高峰 5642m) Summary Gallery
4-5月  アイランドピーク(6189m) Summary Gallery
2013年
12月  キリマンジャロ(アフリカ大陸最高峰 5895m) Summary
11月  キナバル山(マレーシア最高峰 4095m) Summary Gallery
8月  モンブラン(西ヨーロッパで最高峰 4810.9m) Summary Gallery
8月  小川山(ロッククライミング) Gallery
5月  富士山(雪上訓練)

Summary

エベレスト

エベレスト

エベレストは、ネパールと中国チベット自治区との国境にあり、ヒマラヤ山脈中央部に位置する。標高8848mは、世界に14座ある8000m峰の中で最も高く、その山頂は地球上で一番高い場所となる。

登山の目的

若山はエベレストを目標に、登山にチャレンジしてきた。
2011年8月に富士山に登るまでは、登山に興味があったわけではない。むしろ、瞬発力系のスポーツばかりやってきた若山は、持久力系の登山に苦手意識を持つようになった。
その後、プロ登山家・竹内洋岳氏のことを知り、著書を読んだ。ゴールを設定してプロセスを組み立てるという登山のアプローチは、どこか経営と共通するものがあると感じた。登山への興味が高まった。
経営者としての若山は、「企業文化はトップ自らが体現すべきである」と考えていた。UTグループの企業文化は「チャレンジ」である。トップ自らが挑戦している姿を社員に見せたい。しかし、できると分かっていることをやってもチャレンジにはならない。若山は、あえて苦手な登山にチャレンジすることにした。目標は「世界一の象徴」であるエベレストである。
2013年から始まった山々への登山は、すべてエベレストに挑戦するためのトレーニングであった。
目標はエベレストだが、目的はエベレストの山頂ではない。「挑戦する」ということが、この登山の目的である。

登山計画

エベレスト登山計画

エベレストに登るルートは、大きく分けて2つある。
1つはネパール側から登る南東稜ルート。もう1つがチベット(中国)側からの北稜ルートである。南東稜ルートは「ノーマルルート」とも呼ばれるほどに、このルートを取る登山者が多く、登頂率も高い。しかし、若山は条件が厳しい北陵ルートを選んだ。竹内洋岳氏が1996年に登頂したルートである。
4月5日に日本を出発。ネパールのカトマンズからラサ(3600m)に移動し、チベットのギャンツェ、シガツェ、シガールを経て、BC(ベースキャンプ)に到着。BC(5200m)で高度順応と準備のため3泊する。
BCから標高6400mのABC(前進キャンプ)までは、距離にして22kmと長いため、中間地点で1泊する。ABCまでの荷物はヤクが運ぶが、この先は人間が荷揚げしなければならない。
ABC(6400m)は、エベレストで一番長く過ごすキャンプ地となる。ここを起点に、さらに上に設営するC1(キャンプ1)やC2、C3への往復を繰り返しながら、高度順応をはかる。
C1を設営するノースコル(7050m)には、東ロンブク氷河の氷塔帯を抜け、雪面を詰めて行く。
C1からC2(7500m)へのルートは、雪で覆われた長い斜面をひたすら登る。
C2からC3(7900m)は、強い風が吹き、雪崩や落石の危険があるルートだ。
高度順応が済んだら、いったんBC(5200m)まで降り、体調を整える。
ここまでが4月末までのスケジュールだ。5月に入ってからABCに上がって天候待ちし、サミットプッシュ(登頂)のチャンスをうかがう。チャンスはすぐに来るかもしれないが、1か月先になるかもしれない。天候待ちの日々が続くと、集中力が途切れがちになる。精神力が問われるステージである。
天候の条件が揃ったらC3に向かう。C3からは岩と氷のミックス帯を登り、北壁側に回り込んで8300mの地点に最終キャンプのC4を設営する。
登頂当日は、3つの岩場を登る。稜線上のファーストステップ(8500m)を巻いて、最難所のセカンドステップ(8580m)、短いサードステップ(8690m)を越え、頂上直下のサミットピラミッド(三角雪田)を登れば、そこが世界最高峰の頂である。
しかしエベレストの登山は、ここで終わりではない。登頂までに体力と気力を使い果たしてしまい、下山中に滑落して命を落とす登山者が多い。下山する体力を温存しておき、生きて帰る。それがエベレスト登山である。

山名について

1852年、イギリスのインド測量局により、この山が世界最高峰であることが発見された。測量局の方針では、現地での呼称が不明な場合は測量番号で呼ぶことになっていた。この山は「ピーク15」と呼ばれていた。
1865年、世界一の特別な山を広く知らしめたいと考えた測量局長官が、前任者のジョージ・エベレスト大佐に敬意を表して「エベレスト山」と名づけた。
1960年代の調査で、チベット語で「チョモランマ」と呼ばれていることが分かった。意味は「大地の母」とする説をはじめ、諸説ある。ネパール側のシェルパ族もチベット語で呼んでいたが、のちにネパール語で「世界の頂上」を意味する「サガルマータ」と名づけられた。

歴史

20世紀初頭、欧米の国家は極地への初到達を争っていた。イギリスは北極点到達(1909年)および南極点制覇(1911年)の競争で敗れていた。イギリスは「第三の極地」エベレストに国家の威信をかけていた。
1921年、第1次イギリス隊が偵察登山。「そこに山(エベレスト)があるから」という発言で有名になるジョージ・マロリーも気鋭の若手として参加した。この年は標高約7000mまで上がった。
1922年の第2次イギリス隊は、8321mまで。1924年の第3次遠征では、隊員のマロリーともう1名が山頂を目指したが、行方不明となり中断。その後も遠征隊は第8次まで組まれたが、登頂は果たせなかった。
1953年、第9次イギリス隊のメンバー、エドモンド・ヒラリーとシェルパが初登頂に成功。イギリスは悲願を果たした。
その後は徐々にルートが整備され、1990年代半ばからは公募隊による登山が主流となった。
2014年4月、ネパール側ルート上で大雪崩が発生。シェルパ16人が死亡し、エベレスト登山史上最悪の事故となった。この事故を受けて2014年のエベレスト登山は事実上の閉鎖を余儀なくされた。この時期エベレストを目指していた日本のイモトアヤコ氏、なすび氏、片山右京氏らの隊も登山を断念した。

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アコンカグア

アコンカグア

アコンカグアはアンデス山脈にある標高6960mの山。南米大陸最高峰であり、七大陸最高峰(セブンサミッツ)のひとつ。南半球はもとより、アジア大陸以外での最高峰でもある。
※標高は、1956年の調査に基づき6959mとするケースもある

トレーニングの目的

2014年10月に登頂したマナスルでは、標高6800mから酸素ボンベを使った。約7000mのアコンカグアでボンベなしの登頂に挑戦し、無酸素での登頂高度の自己記録更新をめざす。また、そのことにより自分の体にどのような負荷がかかるのかを確認する。
天候に非常に左右される山のため待機の日数が多くなる場合もあり、登れるかどうかもわからないが、これらのことに耐えられるメンタルのタフさを知ることも目的とする。

登山計画

アコンカグア登山計画

アコンカグアの登山シーズンは、南半球の夏にあたる11月中旬から3月中旬。最盛期は12月から1月で、若山も12月に登頂をめざす。
ノーマルルートは雪が少ない北面から登る。氷壁登攀などの高度な登山技術は必要とされないが、今回は酸素ボンベを使わない登攀に挑戦するため、7000m近い標高での「高度順応」が課題。さらに「白い嵐」と呼ばれる強烈な吹雪に見舞われて行動困難になることがある。登頂のチャンスが来るまで、モチベーションを保ちながら待機する精神力も必要となる。
入山許可証は、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスから北西に1000キロのところにあるメンドーサという町でもらう。それから登山口のあるプエンテ・デル・インカ(2740m)のレジャーステーションに移動。ここから比較的ゆるやかな道を4時間歩くと、最初の宿泊地コンフルエンシア(3380m)に常設のテント村がある。翌日は高度順応のためのトレッキングを行う。
BC(ベースキャンプ)となるプラザ・デ・ムーラス(4370m)までは距離約22キロの長丁場。標高差約1000mを10時間かけて歩く。ここを登山基地とし、C1のニド・デ・コンドレス(5570m)、C2のキャンプ・ベルリン(5940m)(またはキャンプ・コレラ 6000m)を何度か往復し、高度順応をはかる。
サミットプッシュ(登頂)はC2から。C2から山頂までは、距離にして3キロしかないが、標高差は1000m、約10時間の登りとなる。ザレ場の急斜面を登り、壊れた避難小屋があるインディペンシア(6350m)を通り、少しずつ高度を上げながらグラン・カナレータ(大クーロワール)へ。さらにガレ場を登って行くと視界が開け、アコンカグアの山頂が見える。そのままリッジを行き、最後の小さな岩場を越えれば、そこが南米大陸の最高地点だ。

山名について

アコンカグア(Aconcagua)という山名の由来は、いくつか説がある。代表的なものは、先住民族ケチュア族の言葉で「石の衛兵」「石の番人」を意味するAckon Cahuakをルーツとするという説。他には、先住民族マプチェ族の言葉で「反対側からくるもの」を意味するAconca-Hueから来るという説などがある。

歴史

ヨーロッパ人による最初の挑戦は、1983年のドイツのパーティだった。このときは北斜面から約6500mの高度まで達したが、吹雪にはばまれた。北斜面を登るこのルートは、現在のノーマルルートとなっている。
初登頂は、1897年1月。アメリカ人のエドワード・フィッツジェラルド率いるイギリスの遠征隊のひとりである、スイス人ガイドが単独登頂に成功した。
現在、アコンカグアには世界中から登山家が集まり、その数は年間約2000人を超える。登山者の約75%が外国人、25%がアルゼンチン人である。

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マナスル

マナスル

マナスル(Manaslu)の標高は8163mで世界第8位。ネパールの首都カトマンズから北西に約120km、ヒマラヤ山脈にある。14座ある8000m峰の中で唯一、日本隊によって初登頂され、当時はこの快挙に日本中が沸き、登山ブームを起こした。

トレーニングの目的

初めての8000m峰のチャレンジ。肉体的・精神的にも負荷が大きく、これまでの山とレベルが違う。
その違いは、①高度 ②長期のベースキャンプとテント宿泊 ③7000m以上を超えた時点での酸素ボンベ使用 ④これまでとは違う道具の使用。
デスゾーンを超えての安全上のリスク回避をしっかり行うことと、未経験の高度で肉体的、精神的に自身がどうなるかを経験することを目的とする。

登山計画

マナスル登山計画

標高8000mの高所は、酸素が平地の1/3以下という過酷な環境。高山病や雪崩のリスクもある。
今回はトータル約5週間の日程で、高度順応と体力温存を両立させながら、登頂をめざす。
起点となるのは、マナスルの麓の村、サマゴンバ(3500m)。
2日続けて村の周辺で高度順応のためのハイクをし、マナスル氷河の川下にあるケルモカルカ(3800m)に移動。
翌日、標高4800mのBC(ベースキャンプ)をめざす。BCはマナスル氷河のサイドモレーンの上で、ここでの滞在日数が最も多くなる。
BCから上のキャンプは、C1(5800m)、C2(6800m)を設営。2週間ほどはBC→C1→BC、BC→C1→C2→BCなどのトレーニングで高度順応をはかる。
C1とC2の間には、マナスルで最も危険な箇所とされる「アイスフォール」がある。クレパスがあり、巨大な氷の塊が崩れて落ちてくる危険性があるため、ここを通過するのは高度順応のためのトレーニングで1回と、サミットプッシュ(登頂)のときだけだ。
サミットプッシュの前日は、C2からフィックスロープを辿りながらC3(7450m)へ。寝るときも酸素ボンベをつける。
翌日は早朝出発し、山頂(8163m)を目指す。急斜面を約6時間かけて登れば、自身初、8000m峰14座の一つに到達することになる。

山名について

インド測量局は、地名には現地での呼称を採用する方針だったが、現地での呼称が不明な場合は測量番号で呼んだ。この山は「ピーク30」と呼ばれた。
その後、サンスクリット語のManasa(マナサ=霊魂、心)とLun(ルン=国、土地)から「霊魂の土地」を意味する「マナスル」と名づけられた。
地元の人々は、チベット語で「プンギェン」(腕輪または守護神の名)と呼ぶ。

歴史

第二次世界大戦の前後、ヒマラヤ未踏峰の初登頂争いは、国家の威信をかけた戦いでもあった。
日本は戦後復興の象徴として海外遠征を再開。ターゲットをマナスルに絞った。
日本隊は1952年の偵察にはじまり、53年と54年に遠征するが、登頂は果たせなかった。そして1956年5月、第3次隊の今西壽雄とシェルパのギャルツェン・ノルブが初登頂に成功した。
初登頂の快挙のニュースや記録映画「マナスルに立つ」は、国民を熱狂させた。この頃から日本での一大登山ブームが巻き起こり、「三人寄れば山岳会」と言われるまでになった。

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エルブルース山

エルブルース山

エルブルース山の標高は5642m。七大陸最高峰(セブンサミッツ)のひとつであり、ヨーロッパ大陸の最高峰。
ロシア連邦とグルジアの境界にあるコーカサス山脈の中心となる山である。

トレーニングの目的

2014年9月のマナスル(8163m)に向けてのトレーニングの一環として。
アイランドピーク(6189m)で経験した6000m峰を、マナスルまで期間をあけずにトレーニングを積んでいくこと。

登山計画

エルブルース登山計画

エルブルース山は技術的には難しくないが、この地域は天候が極めて不安定。台風並みの強風や地吹雪、雷雨や濃いガスに見舞われ、ルートを見失うと所々にあるクレバスに飲み込まれる危険がある。
トータルの日程は10日間程度。まずモスクワで1泊したあと、空路でコーカサスの玄関口、ミンボディ空港へ。標高2050mのテレスコル村(写真右下)まで移動し、ホテル泊。ここが登山基地となる。
登山の1日目は、高度順応のトレーニング。ロープウェイでアザウ駅からミール駅(3470m)まで行って、11番小屋(4200m)まで登り、テレスコル村に戻る。
2日目は、ミール駅からバレル(ボチキ)小屋(3750m)まで歩く。ただし高度順応が完了している場合は、ミール駅から小屋があるガラバシまでチェアリフトを使う。
3日目。さらに高度順応をするため、バレル小屋から3~4時間のところにあるパスツーコフ岩(4700m)を往復。
4日目。天候が良ければサミットプッシュ(登頂)を予定。深夜にバレル小屋を出発し、標高4500m近くまでは雪上車を使うことが多い。ここからはエルブルース西峰と東峰の間にある鞍部(5416m)を目指して約4~5時間歩く。天候(視界)が悪ければ、雪の斜面で目印がない西峰(5642m)への登頂は断念し、岩稜に沿って登れる東峰(西峰より約20m低い5621m)を目指す。

山名について

古い現地語の「アルボルズ」から。これは“観測所”や“要塞”のようなニュアンスと思われる。

歴史

東峰の初登頂は1868年のイギリス隊とされているが、1829年にロシア人のキラル・ハシロフが登ったと主張する説もある。
西峰には、1874年にイギリス隊が登頂した。
第二次世界大戦後の東西冷戦中にソビエト連邦への一般人の入国が許されていなかった頃は、モンブラン(4810m)がヨーロッパの最高峰とされていた。冷戦後はエルブルース山の登山者が増え、ヨーロッパ大陸最高峰はエルブルース山とするのが一般的となった。

Summary

アイランドピーク

アイランドピーク

アイランドピーク(イムジャ・ツェ)はヒマラヤ山脈にある山。標高は6189m。世界最高峰のエベレストから約7km南に位置する。ネパール山岳協会が定めるクライミングピーク18座のうちの一つ。

トレーニングの目的

エベレストに挑戦する前にネパールとヒマラヤを体験しておくこと。初のテント泊、そして初めての6000m峰に挑戦すること。睡眠時無呼吸症候群でも高所登山が可能かどうかを身をもって確かめるとともに、無酸素系から有酸素系にトレーニングを変えた成果を試すこと。

登山計画

アイランドピーク登山計画

ベースキャンプまでのアプローチが長いため、ネパール滞在が3週間にわたる長期の日程となる。
ルクラからエベレスト街道をトレッキングしながら宿泊を重ね、高度に順応していく。
予定しているルートは、ルクラ(2800m)→パクディン(2610m,1泊)→ナムチェバザール(3440m,2泊)→タンボチェ(3870m,1泊)→ディンボチェ(4410m,2泊)→チュクン(4730m)。
チュクンで数日過ごし、高度順応のため村の北にある山、チュクンリ(5546m)でキャンプしてから、いよいよアイランドピークに。
アイランドピークでは5500m付近にハイキャンプを設営し、ここから山頂をめざす。
サミットプッシュ(登頂)の日は、午前3時にハイキャンプを出発。岩尾根を登り雪稜に到達したらクランポン(アイゼン)を装着し、アックス(ピッケル)を使いながら登る。
5900m付近からは、アイランドピーク登山の核心部。斜度45度から60度、標高差120m以上の雪壁となる。アッセンダー(登高器)を使い、ここを登り切れば、頂上までナイフリッジが続いている。

山名について

ネパール現地名はイムジャ・ツェ(Imja Tse・イムジャ氷河の峰)。
英語名は1951年に英国登山家のエリック・シプトンが氷河に囲まれたこの山を見て、海の中に島が突き出しているように見えたことからIsland Peak(島の峰)と名づけた。
1983年には山名をイムジャ・ツェと定めたが、今でもアイランドピークという英称のほうが有名で、一般的に使われている。

歴史

アイランドピークは、1953年にエベレスト初登頂をめざすイギリス登山隊が、高度順応と酸素セットのテストのために登ったのが最初と言われている。このとき登頂したのは主峰ではなく南西峰(6100m)のようである。同隊はこのあと、人類初となるエベレスト山頂到達に成功している。
主峰の北東峰(6189m)は、1956年に初登頂された。スイスの登山隊が、世界第4位のローツェ(8516m)の初登頂とエベレスト登頂をめざしての訓練として登頂した。スイス隊はこのあと、ローツェ初登頂とエベレスト登頂に成功している。
2012年に日本人として初めて世界8000m峰14座すべての登頂に成功した登山家・竹内洋岳氏も、14座目のダウラギリ(8167m)に挑戦する前の高度順応の山として、アイランドピークを選んでいる。
多くの登山家が訓練の場として選ぶアイランドピークは、エベレスト登頂をめざす若山にとっても、経験値を広げる格好の場となるに違いない。

Summary

キリマンジャロ

キリマンジャロ

キリマンジャロはタンザニアにある山。標高5895m、南北約30km、東南50kmに広がった成層火山。アフリカ大陸の最高峰であり、山脈に属さない独立峰としては世界一の高さを誇る。

トレーニングの目的

キナバル山よりもさらに「長い距離(時間)を歩き続ける」ことを課題にし、より高い高度に順応するための練習。

登山計画

キリマンジャロ登山計画

キリマンジャロの標高は、モンブラン(4810m)、キナバル山(4095m)を超える5895m。高山病で登頂を断念する人が多いという。若山も、これまで経験したことがない高所のため、高山病対策が課題の一つ。そのため、約3700mの地点での高度順応日を1日含めた、5泊6日のマラング・ルートを選んだ。
登山1日目は、約4時間の歩き。登山口のマラングゲート(1,820m)からマンダラ小屋(2,730m)までのゆるやかな樹林帯の道だ。
2日目、約6時間歩いて、ホロンボ小屋(3,720m)泊。
3日目、高度順化のため、終日ホロンボ小屋周辺で過ごす。
4日目、約6時間歩き、キボ小屋(4,703m)で仮眠。
5日目、いよいよ山頂に挑む日。12~14時間を歩く予定。深夜にキボ小屋を出発し、ギルマンズ・ポイント(5681m)に登頂。体調がよければ、さらに最高地点のウフル・ピーク(5895m)に挑戦。その後、ホロンボ小屋まで下山。
6日目、登山口までの標高差1900mを約7時間かけて下山。
滞在を除く5日間で、合計64kmの行程を、35~37時間程度かけて歩く計画である。

山名について

山名の由来は諸説あるが、代表的なのは現地の言葉で「白く輝く山」を意味するという説。
この山は赤道直下にもかかわらず、巨大な氷河が山頂を覆う、まさに白い山であった。しかし、この100年で氷河の8割から9割が溶けたという報告もあり、2020年頃には完全に消滅するという予測すらある。そうなれば、「白く輝く山」は幻の山になるかもしれない。

歴史

ヨーロッパ人による初登頂は、1889年。ドイツ人地質学者ハンス・メイヤーが2年連続の敗退ののち、3年目にオーストリア人の登山家とともに挑戦し、登頂を成し遂げた。
現在では、世界中から多くの人々がキリマンジャロを訪れ、登山者数は、年間約3万人(うち登頂者数は約1万人)とも言われる。

Summary

キナバル山

キナバル山

キナバル山は標高4095.2mのマレーシア最高峰。黒い岩肌を覗かせる山頂付近は、マグマが固まってできた花崗岩。多様かつ希少な生態系を育む地であることから、山域はキナバル自然公園として世界遺産(自然遺産)に登録されている。

トレーニングの目的

12月のキリマンジャロ(5895m)登山を前に、モンブラン登山で感じた「長い距離(時間)を歩き続ける」という課題のトレーニング。さらに、無雪登山と高度順化の練習を行うことを目的とした。

登山計画

キナバル山登山計画

1泊2日コースで登山。
1日目は登山口(1866m)から山小屋(約3300m)まで。
2日目は午前2:30~3:00頃に登りはじめ、午前6:00頃に山頂(4095m)から日の出を迎える。そのあと山小屋まで戻って食事と休憩をとり、登山口まで下山。
キナバル山の登山道は整備されており、特別な登山技術は必要ない。
ただし、体力的には、きついコースでもある。
標高は4000mを超えるため高山病の危険もあり、空気が薄いので息切れしやすくなる。
歩行時間は、1日目は登山口から山小屋までの登りに5時間程度。翌日は山小屋から山頂への往復5~6時間に、さらに登山口までの下山4時間程度が加わる。瞬発力系スポーツを得意とする若山が苦手な、持久力が求められる。キリマンジャロに向けてのトレーニングの場にキナバル山を選んだのは、まさにこの「持久力を鍛える」という訓練のためだ。

山名について

山名の起源には2つの説がある。1つは、現地語の「Aki Nabalu」(先祖を崇める場)を語源とするという説。もうひとつの起源は、悲しい物語。──あるとき、中国の王子が近海で難破した。地元の人々に助けられた彼は、島の女性と恋に落ち、結婚した。しかし彼は中国に帰ってしまう。必ず戻るという言葉を信じた彼女は、毎日、山頂から海を眺めて彼の帰りを待っていたが山で亡くなり、その体が山頂近くの岩になった──そこから「Cina(中国) Balu(未亡人)」という名が生まれたという説。

歴史

キナバル山は古くから先祖の魂が眠る山として崇められ、山頂は神秘のヴェールに包まれていた。
記録として残る最初の登山は、1851年。ヒュー・ロウ率いる総勢42名のパーティだった。
イギリス植民地政府の高官であり植物学者でもあったロウは、新種の植物を求めて山の奥へと進んだ。9日間をかけて山頂部に至ったが、山頂には登れずに下山。その後、2回の挑戦をして登頂を果たし、同行者の名前をとってセントジョーズ・ピークと名づけた。しかし、そこは厳密には最高峰より5m低い頂であった。
のちに4095.2mの頂点が確認されると、先駆者のロウに敬意を表してロウズ・ピークと命名された。

Summary

モンブラン

モンブラン

モンブランは標高4810.9m。フランスとイタリアの国境に位置する。ヨーロッパアルプスの最高峰であり、西ヨーロッパでも最高峰。

トレーニングの目的

日本では経験できない、標高4000m以上の高所を経験すること。ほとんど休憩せずに連続して歩き続けるという体験をすること。

山名について

フランスでは「モン・ブラン(Mont Blanc)」。モンは「山」、ブランは「白」を意味し、「白い山」の意味。
イタリアでは「モンテ・ビアンコ (Monte Bianco)」。意味はフランス語と同じく「白い山」。その名の通り、頂は夏でも雪に覆われている。

歴史

雪崩や落石で人々を近寄らせず、悪魔や地獄に落ちた人々の領域だと恐れられてきたアルプスの山々。モンブランもまた、「呪われた山」という迷信があった。 1786年、水晶採掘者のジャック・バルマと医師のミッシェル・パカールが、初めてモンブランの登頂に成功。
翌1987年には、バルマをガイドとした18人ものキャラバンが登頂。 このときから「登山」がスポーツとして認められるようになったという。

モンブラン登山の特徴

最も一般的なコースは、グーテ小屋経由の1泊2日コース。1日目は登山電車で標高2386mの終点まで行き、そこから宿泊先のグーテ小屋(標高3817m)まで登る。標高差約1400m、途中、落石が多い場所や滑落の危険が常に伴う危険地帯を歩く、厳しいコースである。
2日目は夜のうちに山小屋を出発。ここから氷河の登りが始まり、標高差約990mの山頂をめざす。
モンブランでは、天候の急変に備えて昼前には安全圏内まで下りなければならない。そのため、登頂できてもできなくても夜明けには下山を開始しなければならず、休憩している時間はない。この点が日本国内の登山と違う点で、長時間歩き続けるだけの持久力が求められる。

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